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山路来て なにやらゆかし すみれ草
   
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300年前にタイムスリップ
タイムトンネルの入口(藤尾の里)
" 山路 "への入口・・・


  随分以前の話になりますが、芭蕉が「何やらゆかし」と詠んだすみれは何だったのか、という好奇心から、300年以上前に芭蕉が歩いた" 山路 "(大津・小関越)を辿ったことがあります。
一度は、山科・藤尾の里から峠を越えて小関に抜けるコースを。一度は、峠から大津・三井寺の観音堂の裏に出るコースをとりました。
今はハイキングコースになってしまった" 山路 "には、数種類のすみれを見ることができましたが、こうしたことは、あまりあからさまにしないで、自分の好きな風景に、好きなすみれを咲かせたほうが、何やらゆかしい雰囲気にひたれます。

" 歴史の道 "の案内版にそって、" 山路 "に踏みこみました。
今は、仕事道、バイパスと変わってしまった" 歴史の道 "は全く"山路"の風情を残していませんが、峠を越えたあたりを横道に入ったところに、ほんの少しだけ当時を偲ばせる" 山路 "が残っていました。
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a  道は急に細くなり、思っていたより険しく、また寂しくもあります。その日、小関越で人っ子ひとりであうこともなく、この" 山路 "の雰囲気に、急に芭蕉の歩いた300年前にタイムスリップした気分になりました。

 すみれの色や香りは可憐で、風に揺れる様は弱々しく、寄りあって何か語りあうようで、春の到来を喜んでいるかのようです。万葉の昔から、そういったすみれの風情は人々の心をひきつけ、すみれに寄せた古人の思いはたいへん優しく、それらの複合的なすみれの情趣は「何やらゆかし」としか言いようがないように思えます。

 山路来て  何やらゆかし  すみれ草      貞享2年(1685年) 芭蕉42歳の作です。

峠を下り、小関に抜ける道を辿ると、小関の家並みが見えるころから道が急に狭くなり、神社仏閣が多く目に入ります。こちらにも" 歴史の道 "の案内版があり、どうやらこの辺は歴史の道の迷路のようです。

 その日訪ねたのは小関神社。ちょうど小関町の中程にあり、石の鳥居をかまえた、小さな天満さんでありました。門をくぐると、すぐ目の前に常緑のタラヨウの木が迎えてくれ、その木の基に芭蕉のすみれ塚はありました。高さ、およそ70cm位の瀬田真黒石の自然石に「山路きて なにやら ゆかし すみれ草」と、四行に散らして刻まれていました。
地元の俳人の方々が中心になって、昭和43年に句碑を建立されたそうで、碑の下には芭蕉や多くの俳人の短冊が埋められているそうです。

神社の横の住いに廻り、聞いてみました。「芭蕉さんはこの道を行かれたのですよね。」
玄関まで出てこられた奥さんは、「ハイッ この道を行かれました。」と来た方角から歩いていかれた先を指をさされて、当然のように単純明快に言われると、300年以上前のこともほんの数時間前のことのように思え、さすが" 歴史の道 "と妙に納得してしまいました。

 碑の後ろに繁るタラヨウの木は、俗に「字かき葉」といわれ、深緑の皮質の大きな葉をびっしりとつけています。葉に字を刻んだり、乾燥させて筆で書かれたりしたそうですが、俳句の世界でもこの「字かき葉」は使われていたのでしょうか。樹齢からしてこの句碑と同時に記念樹として植樹されたように思えました。
境内にはすみれは見あたらず、記念に「字かき葉」タラヨウを一枚ポケットにしのばせて、人気のない" 歴史の道 "をあとにしました。
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山路のすみれ 芭蕉 自畫賛
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 一度は、大津・三井寺の観音堂裏の展望台に出るコースを辿ったことがあります。
久しぶりに見るふるさと琵琶湖は春霞にけむり、私の生まれた街も遠く対岸に墨絵のごとく霞んでいました。
ここ大津には、旅先で仆れた芭蕉の眠る義仲寺があります。展望台に立って義仲寺の方を見ると、芭蕉塚の前に鎮魂花・すみれが春の風に揺れているような心持ちがしました。

 嬉しいことに芭蕉はすみれの絵を残しています。東京・森下の芭蕉記念館で、古い書物の中に山路ですみれを詠んだ芭蕉の自畫賛の写真を見つけました。
個人蔵の色紙のため、全く実物を目にすることはできませんが、墨一色で描かれたこのすみれ、一体何のすみれに見えますか ・・・?


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