すみれを追いかけて
  
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毎日の生活の中、日々感動することも少なくなってきたが、こと「すみれ」となると話しは別です。
すみれの自生地を訪ねるときは、なんだか子供のころの「宝さがし」の気分でうきうきしてきます。そしてこの「宝さがし」にすみれは十分答えてくれるからやめられません。

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私がすみれの自生地を訪ねるのは、主に写真撮影のためですが、すみれの群落や咲っぷりのよい大株に出会えばもちろん嬉しいですが、ひっそりと咲く一輪のすみれであっても、その表情がやさしく、またそれに魅入ってしまいます。
すみれの花は小さな花ですが、ファインダーですみれの花をアップで覗くと、その小さな花びらいっぱいにエネルギーを感じる時があります。
開花初期にある、どのすみれにもある一瞬の輝きですが、その場に立ち会えた幸運によろこびを感じます。
そんなすみれを求めて山を歩きますが、さて、写真となると、すみれの前にカメラをかまえることは極めて少ないものです。そんな気持ちを、プロのカメラマン竹内敏信氏の言葉を借りれば・・・
『・・・しかし、とっておきの一枚はそう易々とは写ってくれないのだ。
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思うに、この日本の自然は随分とデリケートである。・・・毎年同じように咲いてはくれない。まして、野生のそれも木陰でひっそりと花の命を全うするような、きゃしゃな草花に至ってはなおさらその感がふかい。だから、素晴らしい花との出逢いはひとめぼれの心にも似て私をときめかせる。もう、再び巡り逢うことはないのだ。その場その場が彼女たちの命であり、その一期一会が私の花の写真になる・・・。』


氏とは写真の技術の上では遠くおよばなくとも、同じ気持ちで、私はすみれに対峙しているのであり、その一瞬の機会をできるだけ多く得るために、ただただ自分の足で歩くしかないのです。
労多くして、稔り少ない「すみれ行脚」ですが、これはこれで楽しいのはアマチュアの気やすさであり、また特権でもあります。

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しかし、昨年から計画していた今年の春の「すみれ行脚」も予定の3分の1も実行できず、毎年のことながら、すみれの季節は楽しくもあり、ストレスの溜まる季節でもあります。

テレビから関東地方の梅雨入りのニュースが流れています。
遠く北に行ってしまったすみれ前線を追って、天気が気になりますが、梅雨の晴れ間にすみれを追いかけてみるかな・・・



 梅雨入りの日
 

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